Blah blah blog

Talkativeな女子によるtalkativeな女子の為のtalkativeなブログ

祖母について語ってみる

おはようございます。


今日も暑いですね。窓を開けて寝なかったせいで今日の朝方、汗をかいて目を覚めました。


汗をかくと痒くなり、アトピー持ちには辛い時期ですがなんとか短いこの夏を楽しみたいものです!!



今日はね、久しぶりの家族シリーズ。(いつの間にかシリーズ化されている)


祖母のことについて書いていきたい気分なので綴っていこうと思います。



母方の祖母は私が小さい頃に亡くなってしまったので記憶にないのがとても残念ですが、
父方の祖母とは一緒に暮らしていた+86歳まで生きてくれたので彼女との思い出は沢山あります。
孫の目線から見た祖母、大人になって今思う1人の女性としての祖母についての私の思いを書き残していきます。



祖母は、7人兄姉(?←いきなり曖昧。とにかくいっぱい!)の一番末っ子でした。


私が生まれた地域はとっっっっっっても田舎なのですが(祖母の嫁ぎ先=祖父の故郷)、祖母の生まれは元々もう少し都会だったらしく、少し裕福な家庭で育った様です。
一番下の子供ということもあって、とても可愛がられ、昭和初期の女性としては珍しく私立の女学校も卒業したそうです。(生前、自慢家の様に話してくれました)


そんな祖母ですが、卒業後はデパートの販売員として働き始めました。
その時に7歳年上の祖父と出会い、祖父にアプローチされてこのど田舎に嫁いだそうです。
※田舎のど田舎に嫁いだことは生前も何度も何度も“こんなところ”と強調して言っていた記憶があります。。汗笑



男は働いて家庭は女が守るのが当たり前のあの時代、子育て(男3人!)をし家庭を支えました。


買い物なども全て含めて、祖母の仕事。(車を運転してスーパーに連れて行くのは祖父の役割)。買い物中、祖父は車の中で待つ。笑



生きる時代が違うので、様々なことに対する価値観が違います。


ただ単純に同じ女性として、嫁いだ先で立派に3人の子を育て上げ家庭に尽くした祖母はすごいなぁと感心します。


お洒落が好きで(さすがデパートの販売員!)、旅行が大好き。
お友達と温泉旅行に行くとお洒落をして出かけていく姿も記憶にあります。



そんな祖母ですが、可愛がられて育った末っ子のごとく、プライドが高い人でした。
プライドが高いせいで、弱みを見せられない、あまり周りに助けを求められない人だったのではないかと思います。
特に家庭は男だらけ、、、どの様にストレス発散していたのかなぁ?なんて思っちゃいます。シャイでコミュニケーションもあまり得意な方ではなく少し不器用な感じ。(息子はそっくりだな!父!笑)


小さい頃、共働きで帰りが遅かった両親に代わって、夕飯までの間食をよく持ってきてくれました。(二世帯住宅なのでリビングが別々)
庭で取れたスイカ、メロン、りんご、買い物に行った時は菓子パン。私は子供ながらパン屋さんで買って来てくれたパンが一番好物でした。(スーパーのパンより)←この頃から味の違いがわかってたなんて!


沢山お話した記憶は残っていませんが、いつも私たちがお腹を空かせていないか気にかけてくれていました。間食を持ってきてくれた時と炊いてくれたご飯を貰いに行く時間が唯一の祖母とのコミュニケーションの時間でした。


私たちの住むリビングと祖父母が暮らす部屋はそこまで遠くないのに、あの頃は何故あんなに遠く感じていたのかが不思議です。


実を言うと子供の頃の祖母との一番の思い出はケンカをした記憶です。笑
それも今でもその時の情景と抱いた気持ちを鮮明に覚えてるのがすごい!←


詳しい内容は長くなるので省きますが、
洗濯物を干している時に祖母が私の母(祖母からしたら義理の娘)の洋服を干しながらケチをつけてたんです。それを聞いていた私は、祖母に向かって『お母さんの悪口を言うな!!』と食ってかかったんです。笑(負けん気強い)


その後、何かのタイミングで謝ったんだけどね。(確か、、笑)


この時の記憶だけが今も鮮明に覚えています。一部だけ冷凍保存しているみたいにね。




祖父が亡くなってから、心の病を患ってしまった祖母。
長い長い闘病生活、遂には寝たきりになってしまってからも寿命を全うし86歳でこの世を去りました。


祖母が亡くなった時、私はイギリスでワーキングホリデーをしていました。長年寝たきりの生活でいつ状態が変わってもおかしくない状況だったので、私はイギリスに行く前に祖母のお見舞いに何度も行きました。
毎日毎日、独り言を呟き天使と交信していた祖母。
私がイギリスから帰ってくる2年後もこの手は温かいだろうか?なんてこと思いながらお見舞い行くと必ず手を握り、温かい手の感触を記憶に残しました。


歩けなくなって痩せ細った脚を見るのはとってもとって辛く心が痛かった。。



小さい頃、祖母と対立することがある度に「憎まれっ子は世にはばかるっていうからお婆ちゃんは絶対長生きするな!」なんて思ったことがありましたが(おばあちゃんごめんね)、


これだけ家庭を支えて頑張って来た彼女の最期がこんなに辛く苦しく長く続くなんて、なんて神様は残酷なんだろう、と心の底から思いました。



祖母が亡くなった知らせを受けたその時かな?その後かな?、正確には覚えていませんが、ちょうどその時期に私はホリデーでスペインの北部に一人旅していました。



前もって計画を立てるのが苦手&旅をする時は基本ノープランの私は、
現地に着いてからササっと行ってみたい箇所を調べて、そこまでの目的地を寄り道しながら歩いていました。
そうしたら、寄り道をした先のそこの匂い(潮の香り)や地形、海岸沿いの風景が故郷と似ていて、驚きました。
祖母がすごく近くに感じました。その旅ではことあるごとに祖母のことを想いました。



このブログを書きながら、ニュージーランドから帰って来てからまだ一度もお墓参りに行っていないことに気が付きました。


今日はお墓参りにいって来ようかと思います。


御先祖様に手を合わせないとね!



お姉ちゃんがずっと前に占い?か何かで彼女の守護霊は祖父だと言われたと言っていました。




だとすると、私の守護霊はおばあちゃんかな??





(え?おばあちゃんは弟の方がいいって?)






それなら、私の守護霊は祖父と祖母どっちもいるということにしておきましょう。←勝手に決める






さぁて長くなりましたが、
みなさん良い金曜日をお過ごし下さい!





PS. 今日韓国にいる彼が帰国後の2週間の自宅待機期間が終わります。昨日の電話で、明日は外に出られるけど一番どこに行きたい?
と聞いたら、『お母さんのお墓参り』と答えました。スーパーとか、そんなんかと思っていたから感動しちゃった。




※丘の上にある教会。鐘を鳴らしておばあちゃんのことを想いました。(スペイン北部)


※故郷に似てる海岸(スペイン北部)


※故郷に似た街の通りを歩いていたら遭遇した柴犬二匹!!スペイン北部のど田舎なのに!!名前がYumeとNemu。名前のセンス良すぎじゃない?(スペイン北部)


#海外移住#海外旅行#ワーキングホリデー#家族シリーズ#スペイン